「兄の仇だ」
 街からまちへ移動する最中の、乾いた岩肌が散見されるひらけた道でのことだった。背後からつけてきた男が、唸るように叫び、鞘から剣を抜き斬りかかってきた。
 仇討ち。暗赤色に汚れた鞘からはしかばねと煙のにおいがした。
 赤髪、ときに隻腕、戦斧の使い手、の三拍子が揃った自分が、他の人間と間違われている可能性も低い。一閃を避けながらハイドは思いを巡らせる。男の顔を見ても何も思いだせないが、恐らく彼の兄は自分との戦いで死んだのだろう。
 左腕を使わせるまで自分を追いつめた者や、出血らしい出血をともなう傷を負わせてきた者であったならば、多少なりとも記憶には残っている。要するに彼の肉親は強くもなかったに違いない。戦場の泥土に呑まれてしまうような有象無象だったのだ。
 男は殺気を滾らせ「何故殺した!」と投げかけてくる。あいにく人を殺す趣味は持ち合わせていない。つまり勝手に死んでしまっただけということになる。
 次々と繰り出される刃のきらめきは衰える気配をみせない。怒りか、哀しみか、激情が男を突き動かしている。戦火に身を投じていれば、例え死した者が兵士であってもこのように恨まれるのだ。ハイドは今更に気が付く。
 思いを遂げさせてやれば男は満足する。遂げさせるには自分が彼に殺されるか、せめて二度と武器を持てないからだになってやるかだ。
 しかしそのどちらも選ばせることは出来ない。己を殺さんとする者に、どうして対峙せずにいられよう。どうして得物を構え振りかざさずにいられよう。
 やめられないのだ。そうだ。やめたくない。
 人が死ぬのは好かない。憎まれるのは構わないが憎ませるのは本意でない。だが、たたかうことは楽しい。死力を尽くし、相手を制しようとする遣り取りの、刃の背で神経を撫で上げるが如き高揚感といったら――。
 ひとりで足りぬなら複数で。賭けるものが命で足りぬなら憎悪を矜持を。武器を取れとは言わないが、武器を取ったならば飽くまで戦い続けろ。人間だけが持ち得るそれをもう一度、もういちど寄越せ。
 それで仮に己の頸が断ち切られても、恨みなどするものか。
 忘れられず、飽くことも知らず。ひとのかたちをした焔のばけものは笑みを刻む代わりに、はじめて退けんとする意を以て、重いはがねの斧を振り下ろした。

[其は人でないと知れ]

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