やみまるはやみまる。なまえはやみまる。
 われらがどこでうまれたか、けんとうつかない。まっくらなところ、なにかといっしょにいた、それだけきおくしてるのだ。やみまるはそこではじめて、ほしっぽいものをみた。

 ……やみまるのことばだけでしゃべる、たいへん。かんがえにおいつかない。あるじのつかうことば、かりる。
 ――夜と月を統べる機構、我らがあるじ〈静寂〉により生み出された、闇のしもべ。それが自分つまりやみまるである。
 容姿をひとことで言い表すのであれば、人間の手のひらほどの大きさをした黒い鶏卵であろうか。もっとも、そこには《月》で象られたまるくつぶらな目と、花びらのような小さな手がついている。なお後半の形容は、あるじの友人の言である。
 はちみつをかけた檸檬の髪を持つ友人は、我らを「かわいい」「もちもち」「いやし」と称する。しかし実際のところ、我らがいかなる存在であるかは、我らはおろか、あるじでさえ正確に把握していない。
〈静寂〉の元素から成る、現象のひとつであることは確かである。
 からだは漆黒に少量の銀粉をまぜた色。《夜》を基礎にして《月》を練りこまれているため、ものに触れることができる。夜の暗がりが質量をもたないように、《夜》のみの体では、ものに対してすり抜けるか呑むしかできない。
 問題は、「自分は自分である」という事実を知覚している意識の正体である。自我、と呼ぶべきであろうか。それがいったい何から生じているのか、いまいち判然としないのであった。
〈星〉と魔は、魂をもっている。魂には心が宿り、そして自我は魂であり心だ。ところが我々は、魂を持たざるものである。当然だ。偉大なる六柱といえども、魂を創りだす権能どころか能力は無いのである。
 ところがどうにも我々は、すくなくとも魂に近しい何かを、身に宿していた。
 あるじの精神のはし切れかというと、それは違う。意図すれば思考を把握してもらえるが、あくまで感覚は共有していない。我々はあるじの得た知識を参照しているのであって、その場合の知識は己のものでない。互いにそれぞれ得た情報は、受け渡そうと思ってはじめて伝わる。
 一方で有事の際に、あるじの五感の一部とされることになんの違和感も抵抗もない。命令は本能であり、存在意義である。たとえば命(これも厳密には異なるのだが)にかえて喰鬼から〈星〉を守れといわれたならば、己はそのために創り出されたことをそこで自覚し、従うのみだ。
 とにもかくにもなんだかよくわからない、ちいさな闇の眷属。
 そして自分は――具体的な目的を以て創造され、その達成とともに〈静寂〉へ還るという「やみまるあるある」には該当しない、ただ「在れ」と命じられて長くあり続けている個体であった。



「大事件」とその事態が収束を迎えて、数日が経過したレシュア。
 やみまるは人目につかない裏路地の、建物と建物のあいまを縫って、ゆらゆらと浮遊し移動していた。今日は、少なくない負傷者が出ている喰鬼討伐人の団員に代わり、限定的な域でありながらも見回りをしているのであった。
 昼間でも日陰をつたってゆけば活動に支障はなく、〈星〉と遭遇しても簡単に姿をくらませる。そのため、決められた範囲においては単独行動を許可されている。
 やみまるとしては〈星〉に何をされようと、痛くもかゆくもない。おまけにかれこれ五年以上も存在していれば、多少の力も行使できるようになるものだ。害あるものと誤解した〈星〉から攻撃されても、一、二発は耐えて離脱できる。
 しかし「安全第一で行動しなきゃダメ」とセスタが口酸っぱく言い、あるじがそれを聞き入れたので、やみまるもその方針に従っていた。
 そうして、空から襲来する喰鬼を目撃することもなく、折り返し地点に差し掛かったときだ。はつらつとした若い男の声が、やみまるに向かってかけられる。
 やみまるはその声の主を知っていた。視覚機能をもった穴を巡らせれば、あるじとそう歳の変わらない青年が立っていた。
 彼はあるじの農業仲間だった。あるじは趣味、彼は生業という違いこそあれども、土がどうこうだの作物がどうこうだの、耕作にかかわる話を肴にして酒を交わす仲である。
 出会った当初の彼は、あるじに対してとげとげしい態度であったらしいが、やみまるは彼のほがらかな顔しか見たことがない。
「珍しいな。今日はおまえだけか?」
 男は影の境目まで駆け寄ってくる。彼はあるじの正体も承知している。
 やみまるはその場で上下に一回転し、「そうなのだ」と肯定を体現した。
「俺はちょうど今、お役所にウチのほうは無事だって報告しに行ってきたところだ」
 それはよかった、と頷いた。頭部と胴体に区切れはないが、不思議と伝わるものである。
「思ってたよりかは被害が少なそうで安心したよ」
 うなずく。
「怪我人こそ出ちまったけど、ユクシルもだいぶ頑張ってくれてたんだろ?」
 うなずく。
「あいつによろしく伝えといてくれ。……ああ、あんまり無理すんなよってのも!」
 わかったのだ。
 喋ることができたならばさぞ便利だろうなと思いつつ、やみまるはもう一度くるりと舞った。ことばを話すことはできなくても、思考めいたものはつたわるので、伝言も承ることができるのだ。

 何事もなく、やみまるは無事に出発地点もとい屋敷へと戻った。陽は寒空のてっぺんを下り始めている。
 厨房の排気窓から室内へ入ろうと裏手へ回れば、庭にはあるじとウェズの姿があった。なにやら作業をしている。土いじり友達からの伝言は急ぎのものではなかったから、後回しにしても大丈夫だろうか。
 近くまで寄ってみると、ウェズはケールのしぼり汁を舐めたような表情をしていた。
 橙色の視線の先にいるあるじは、泥や血の付着した武具を、液状の《夜》を溜めた樽に沈める。いくらか経ったら取りだして、ウェズに手渡す。ウェズはそれを雪の上へと並べていく。
 また沈めては取り出して渡して、並べて、それを何度も繰り返している。端をそろえて置かれていく金属製の道具は、すぐにでも研いで磨く作業へ移行できる状態になっていた。
 鍛冶職人のもとに持ち込まれた、手入れの必要な武器を、まずはあるじがきれいにしているのだ。《夜》を直接動かして呑まないのは、現在はまだ〈殷賑〉の座する時間帯であるからだろう。
「どうした」
 やがてあるじが、ウェズの妙な様子にふれる。
「いや……」
 両者ともにけっして手は休めず、しかしウェズはすっきりしないといった様子で言葉を紡ぐ。
「おれは一体なにをやらせてるんだろうと」
「打物の洗浄だ」
「星魔石に《夜》を入れてくれって頼んだ気がするんだが」
「石を介さず、俺がじかに《夜》を用いたほうが効率的だ」
「ああ、そうなんだけどよ。なんか、おかしくないか」
 めずらしくウェズの歯切れが悪い。
 やみまるはセスタに教わった諸々を以てひらめいた。わかった。この表情は耐えているときのものだ。ウェズはいま耐えているのだ。
 早く手入れをして依頼者に返してやりたいと思うやさしい性分が、〈静寂〉の力の無駄遣い(なにが無駄なのだろうか)が気になってしまうまじめで神経質な性分を、抑えようとしている。最優先すべきは迅速な仕事の遂行であるのだから、口を挟むのはよくないと。
 あるじがそれを悟っているのか否かはわからなかったが、いずれにしても、我らがあるじの返すこたえは自明だった。
「そうだろうか」
「……、……やみまる戻ってきてるぞ」
 なにかをだいぶ呑み込んで、ウェズはこちらを見やった。
 やみまるはふたりのそばまで寄った。あるじの深黒と視線を交わし、見回りの報告と伝言を〝読んで〟もらう。
 あるじはとくに何も言わなかったが、かすかに目元を和ませた。
「ウェズ。これで最後だ」
「ああ、助かった。ありがとうな」
「鍛冶場まで運べばいいのか」
「いいや大丈夫だ。おれだけで持って帰れるぞ」
「ちょうどそちらへ行く用事がある。ついでだ」
「用事?」
「リエラが、朝から負傷者の治療にあたっている。そろそろ他の治癒術使いと交代する頃合いだ」
 迎えにいく、とあるじは答えた。
 リエラには別のやみまるがついているし、彼女を狙っていた脅威も取りはらわれたが、星術の連続使用は純粋に疲れる。ましてやレシュアは、彼女にとってはまだ馴染みのない町である。帰りは、誰かがそばについていたほうが安心だった。
「せっかくだ。昼食も一緒にどうだろうか。カンラ亭あたりは昨日から店を開いている」
「そうだな、ユクシルがいるなら」
「俺がいれば問題ない、というと」
「察しろ」
「何を」
「正直どう接すればいいのか、若干わからねえ」
「リエラに」
「というより、同年代の女子だな」
「なるほど」
「……全然わかってねえだろ」
 話はまとまったようだった。
 やみまるはあるじの袖口へ収まろうとしたが、ふと、昨日からセスタのすがたを見ていないことに気づく。
 勿論、あるじとて毎日顔を合わせてはいないので、なんら不自然なことではない。しかしこの場にいない彼のことが、不思議と気にかかった。
 単に家で休んでいるのだろうか。そうであれば、やみまるに会うすべはない。彼との間には、自宅に居るときは訪ねないという秘密の取り交わしがあった。
 ――秘する理由は教えられていない。



 結局やみまるは、あるじ達に同行しなかった。
 〈静寂〉の加護――からだを《昼》に晒しても反発し合うことなく、元素がうまく調和し、日なたでも活動し続けられる――をあるじに乞い、それを授けられた身で、レシュア市街地をおおよそ取り囲む壁へと向かった。
 城壁の、野外の通路に腰をおろしているセスタを発見した頃には、陽はすっかり傾きかけていた。やみまるはあるじよりも俊敏性に優れていたが、いかんせん体が小さいため、移動には時間を要してしまうのであった。

 つむじのところでひとすじ跳ねている金髪を冬の風にゆらし、セスタは抜き身の剣をじっと眺めていた。
 すらりとまっすぐに伸びたつるぎ。繋ぎ目のわからない、頑丈かつ鋭くかたちを整えられた鋼。やみまるが目にしたことのある武器のうち、もっとも美しいと評価されるもののひとつ。ウェズ渾身の作であり、セスタがいっとう大切にしている長剣だった。
 手元まで距離を詰めれば、彼はようやくこちらに反応を示した。
「どうしたの? こんなところまで来て」
 セスタのことがきになったのだ。
 心と呼べる代物なのか不明瞭なものが抱くそれを、無音のことばに乗せる。
 無論セスタは〈静寂〉の眷属ではなく、本来ならば気持ちが伝わる道理は無いのであるが、どうしてか、彼はしょっちゅうこちらの言いたいことをくみ取ってくれる。セスタは「心配させてたらごめんね」と言った。
「たまには一人でぼんやりしてみたかったんだ」
 ぼんやり。好きであるが決してそうとは口にしない、ウェズが打った剣を眺めることが、それに該当するのだろうか。あるじにとっての麦畑や花畑は、セスタにとっての剣らしい。知らなかった。
 セスタは苦笑した。
「なんかおかしなこと考えてない? 多分ちょっと違うよ。ちょっと……考えてたんだ」
 やみまるは頭を傾げる。
 普段の彼は、まるでお日さまのようだと思う。はじけるような眩しい笑顔と、陽光めいてあたたかい声。しかし今のセスタをみて連想するのは、曇天のむこうに隠れてしまった太陽だ。
「ジブンは幸せだなって」
 しあわせ。実感としてはよくわからないものだ。でもきっと、自分もだ。
「うん……本当に、幸せだ」
 しあわせだ、と言うわりに、金糸は目元に影を落としている。
 月夜の暗がりとは異なる陰。
「だからこそ、あと何回呼べるんだろう。あと何回呼んでいいんだろう」
 セスタはいったいなんの話をしているのだろうか。ただ、おそらくはとても、重要な話だった。
「なあ、どう思う?」
 長いあいだここに座り込んでいたにちがいない。寒さのせいで、その鼻はすっかり赤くなっている。
「ううん、いや、考えなくていい」
 そらに掲げた剣の刃が、夕焼け色に染まったひかりを身に映した。
「まだ知りたくないや」
 力なく腕を下ろして、剣を鞘へと収める。
 しばしの沈黙を挟んだセスタは、やがて眉尻を下げて笑い、ユクシルには内緒だよ、とささやいた。
 やみまるは全身を使ってうなずいた。
 だが、疑問だった。なぜ、あるじに知られたくないのだろう。
 どんな想いがそこにあっても、あるじであれば、それを受け入れるに違いないのだ。
 自分達はそろいもそろって彼のことを好きになるが、その感情の基礎は幾らかあるじに影響されたものであるように思う。
 ああどうか、そんな顔をしないでほしい。なやみの原因を呑んで、消してあげたい。
 彼の面持ちをどう形容すればいいのか、やみまるにはわからなかった。表現の知識には乏しく、あるじも、このセスタの顔を目にしたことが無いからだ。
 だから、自分がとるべき行動として何が適切なのかの判断がつかず……やみまるは少し考えたのち、ふわりと浮かび、セスタの頬にぴたりとからだを寄せた。
 ――原初のやみまるは、我らであって我ではない。ただ、なんとなく知っているのだ。我らが創り出された、そもそもの理由。
 汝を囲う闇はおそろしいものではないと伝え、孤独なもののそばに寄り添う。
「慰めようとしてくれてるの? ふふ、優しいなぁ」
 日が暮れる。
 うつくしい碧緑のひとみからはなにも零れていない。けれども、どうにも泣いているように見えた。やみまるはそれが止まるまで、ただ傍らに居続けようと思った。



 やみまるはやみまる。なまえをよびたいといわれた。だからやみまるになった。
 ただしく、〈せいじゃく〉のなにであるか、けんとうつかない。でも、われらをちゃんとはあくするひつよう、ない。
 つつやみのねぐら、よいがせまるたそがれのなか、やみまるはそこにいるもの。
 それだけでいいのだ。たぶん。

[わがめいはやみまるである]

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